2009年6月30日 (火)

ギャラクシー銀座の巻

主人公は引きこもりの自称ロックアーティスト竹之進。
深夜のギグはパンクロックと称するいたずら電話。
正義のために「おのれのパンツは穢い」と絶叫するが当然空虚。
そして息子を溺愛する母は若かりし頃の乙女感覚にまだ浸っている。
ある日趣味のママさんコーラスの練習中に宇宙人を吐いてしまう・・・・・・
 話は宇宙のように膨張しつづける。
登場人物はさみしい女性に電話一本で蒸気機関車でかけつける、ホストクラブニューファラオのメンバー。
「女って竹やぶの中に入いらなあかん時があるとおもうね〜ん」とゆう思想で啓蒙するカリスマロックシンガー。ハスキー美美。
父、国民的シャンソン歌手のココ北古賀。
城を燃やしたいとゆう欲望を抑えきれない、だれよりもかわいいと思い込んでる醜女、コニー。
温暖化は自分の燃え盛るように熱い腱のせいだと思い込んでるボディービルダー、ハリス漆原。
ラブホテルを慰問する老年お笑いコンビスーパーペガサス。
 
 ある日、母に竹之進は覚せい剤を買って来て欲しいとせがむ。
セーラー服を着込みいとも簡単に最新式の覚せい剤を手に入れる母。使用をためらう息子のへそに打ち込める…‥
 どんどん醜悪な形で漫画化する今をさらにシュールにナンセンスに戯画化したらなにかが見えてくるのか。頭の中には虫がいる。これは主人公のセリフである。
複雑に入り乱れ破綻し続ける現代に見えるのは狂気である。
そしてこれは(この漫画は)日常にも当てはまるのではないかと思ったのです。

素晴らしい作品です。
作者は天才長尾謙一郎氏
ちなみに装丁デザイン 宇野亜喜良氏です

なをあわせて「おしゃれ手帖」も御すすめします。


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2009年4月13日 (月)

昭和夢草紙/滝田ゆう の巻

滝田ゆう氏の少年時代の目線で語られる情感溢れる一冊。
(他に昭和ながれ唄、寺島町奇譚、怨歌劇場などどれも情感溢れる名作ぞろい)
東京都玉の井(いわゆる赤線地帯/現在の東京都墨田区東向島付近)で少年時代をおくった滝田氏に残る街の匂い。娼婦たちの匂い。風景。皮膚感。が昭和の色合いで語られるのです。
遊郭として玉の井地区は吉原などと比べてB級C級でおばさんがセーラー服をきて店から身を乗り出してたりするようなところで戦後かってに建物を建てたらしく店がひしめき合い。
その間の路地に「ぬけられます」とゆう看板を立てて奥にある店に人を呼び込む。
路地のラビリンスにはせつなさや哀しさが漂いそこがまた男を彷徨わせてしまうのであろう。
それを少年キヨシ(滝田氏)は移り行く季節とともに見つめる。
人間の匂いが色濃くあった昭和の時代の話である。

いい本だなぁ〜。

ちなみに神代辰巳監督の(赤線玉の井ぬけられます)も面白いです。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD28576/index.html


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2009年1月20日 (火)

PEACE BED アメリカVSジョン・レノン

ビートルズでポップスターの頂点を極めたジョンレノンは自身の成長とともに平和運動に身を投じる。前衛芸術家のオノ・ヨーコとの結婚。新婚旅行先のアムステルダムのヒルトンホテルでPEACE BED と称する平和のメッセージをこめたパフォーマンスを行う。泥沼化するベトナム戦争に反対しての反戦運動やしだいに知り合った急進的な活動家との交流でアメリカ政府からジョンレノンは危険視される。
 1971年12月10日ミシガン州アナーバー。投獄されている活動家で詩人のジョン・シンクレアを救うためのジョン・シンクレア支援コンサートにゲスト出演する。全米に生中継されたこのコンサートの影響でその後ジョン・シンクレアは釈放される。ニクソンはジョンレノンの世論に対する絶大な影響力に脅威を感じ、FBIの監視や盗聴が始まる。そして国外追放にまで発展する。
 アムステルダムでの<ベッドイン>は、おふざけ好きのジョンの冗談だったのではないか。くだらねぇなぷぷぷなんて本人も思いつつマスコミを部屋へ呼びディスカッションをし独自の平和観を語り、とにかく興味をもたせるとゆう事を含めたメッセージだったのではないか。映画の中でジョンは「考えた末これしかなかった」と言っている。そして(平和を我らに)の大合唱で一体になる。
その後どんどん反戦運動にのめり込み急進派の活動家に利用されてる感じでもあったりするのだが本人の信念は変わらず権力に正面から対峙しひるむ事なく戦うのだ。
ジョンは大スターでありながら危険の中へ自ずから足を進める。
きっと対極にいるであろう小利口なミックジャガーはこんなバカな事はしない。映画の中で「長髪で金持ちの単なる不良を権力は狙わない」とミックジャガーを称して言ってたりするがなんと言われようが権力に歯向かうほうがバカだ。恐ろしい。
実際ニクソンは「ショービジネス界から政治集会に参加する者があればその人物は個人的に大きな犠牲を払う事になる。身の危険もありうる」と言っている。

だがしかし
バカにならなきゃならないのではないか。

今こそ我々に必要なのはジョンレノンの精神だ。

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2008年11月11日 (火)

スイート・チャリティの巻

元気一杯、シャーリー・マクレーンのキュートな魅力溢れる逸品。
ニューヨークのダンスホールホステス、チャリティ(シャーリー・マクレーン)は愛を求め幸せを夢見る。腕に名前の入れ墨まで彫った最愛の男チャーリーにあっさりと捨てられた。しかもセントラル・パークの橋の上から突き落とされ全財産を持ち逃げされたのである。
しばらくは落ち込んでいたが仲間の励ましもありまた元の元気なチャリティにもどる。
ある雨の夜、イタリアのスター、ビットリオ(リカルド・モンタルバン)と知り合う。そこで夢のような一夜を過ごすが喧嘩していたビットリオの恋人がもどってきて結局クローゼットに隠れたまま眠ってしまい朝を迎える。幸せを得るためには仕事を変えようと思い立ち。職業安定所にいくが小学校しか出ていないチャリティに向いた仕事などありはしない。
落胆し帰ろうと乗り込んだエレベーターが故障で止まってしまう。偶然乗り合わせた閉所恐怖症の計理士オスカーと一緒に…‥。
 振付師ボブフォッシーの舞台ミュージカルの映画化でボブフォッシーの第一回監督作品である。そして原作はニール・サイモン原案はフェデリコ・フェリーニ(元ネタはフェデリコ・フェリーニ監督による「カビリアの夜」)なんと豪華。
斬新なカット割りユーモラスでサイケな振り付け。
とてつもなく明るいシャーリー・マクレーンのコメディアンヌぶりは素晴らしい。奥様は18歳の岡崎友紀あたりはかなり影響がみられるなぁ。
サイケな教会を主催するビッグ・ダディ(サミー・デイヴィス・ジュニア)のシーンとか観ててワクワク。 舞台をそのまま映像化してるためか幕間ってのもあるんだけど意味なくてこれもいいんだよね。

ラストの公園での朝、雲一つない空、ラブサインを指で作り花を配り「おはよう」と挨拶する若者達。 笑顔をとりもどすチャリティ。新しい朝、新しい人生が始まる。 女の子が元気になれる名作です。


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2008年8月30日 (土)

昭和聖地巡礼〜秘宝館の胎内〜の巻

秘宝館を知っている人はどれぐらいいるのだろう?
簡単に言えば性のテーマパークとゆうところだろうか。
その秘宝館<わいせつ>とゆうレッテルのもと絶滅の危機に瀕している。
日本文化の特殊性や強力なユーモア、それら目を見張るべき本質にはふれずただ<わいせつ>と。
その日本人の卑小さ寛容のなさにもの申すとばかりにいかに秘宝館がすばらしいものであるかとゆう愛のメッセージが昭和聖地巡礼〜秘宝館の胎内〜である。
なんと全国6大秘宝館を一挙に映像化したのは史上初だそうである。
一応このDVDの中での秘宝館の定義を記しておきます。
「秘宝館の定義」
◇等身大人形に見られる造形美
◇参加型展示物などに見られるユーモア
◇性への純粋な知識
とゆう3つの要素を備えた性をテーマにした遊興空間
これを秘宝館とする。
等身大人形ってのがすごくリアルで高い技術を感じるんだけどチンポコくわえてクルクル回ってたり性技の使者スーハーマンってのが飛んでたり最高なのよ。
参加型展示物ってのは椅子に座ると正面のスクリーンの女の人が服を脱ぎだすって。バカバカしくっていいやねぇ。で、性への純粋な知識ってのはもともとは秘宝館、衛生展覧会から始まったと言われてて性病にかかった患者の精密な造形物などで衛生の啓蒙をしていて衛生観念をふまえた上での性とゆう知識そして性への純粋な好奇心。バカバカしい部分とまじめな部分が混沌と同居しているわけです。
70年代レジャーブームの到来。団体バス旅行の流行。団体温泉旅行の隆盛で頂点を極めた秘宝館は以後衰退して行く。
洗練された社会にはまったくもって不釣り合いでグロテスクなものになってしまったのだ。
しかしそこには常識を逸した想像力、ハイセンスなユーモア。造形美といった人の心を動かすエネルギーが溢れている。
エロだろうがなんだろうがくだらなくてバカバカしいものを容認するダイナミックな社会がタフでやさしい人を育てると思う。無理だろうな、DVDのパッケージの裏にも書いてある通り<秘宝館を笑い飛ばすでもなく、誇るでもなく、ただただ排除しょうとする日本人的体質><様々な圧力が秘宝館を過去の闇に葬り去ろうとしている>この愛と怒りが観るものの心を震わせる。監督は若き天才ササタニィーチェこと笹谷遼平監督です。最後に『どんなにすぐれたインスタレーション(展示)がそこにあろうとそれが「アート」として認知されることはありえないまま名もなき市井(しせい)のアーティスト達による傑作がまたひとつ消えて行く。なにかを作り出す事はひどく不得手でありながら失う事にかけては誰よりも得意なこの国に生きる我々にそれはもともと高価すぎる秘宝だったのかもしれない』 都築響一著『秘宝館の女』より。
なを、途中で登場する珍宝館の館長まんちょチンコさんを観た衝撃は表現しきれない。ぜひ観てください。

大おすすめDVDなのだ。

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2008年7月26日 (土)

フェリーニの道化師の巻

1970年にイタリア公営放送ように制作された作品。フェリーニのアマルコルド に並んで大好きなフェリーニ映画です。  
夜中に男のかけ声で目覚める少年。カーテンを開けると家の前に突然大きなテントができている。翌朝、母親に「あれは何?」と聞く少年。「サーカスのテントよ。悪い子は連れてかれるよ」イタリアも日本も同じだなぁ。そこには怪力女やジャングル男、奇妙な道化師たちがいた。(シャム双生児のホルマリン浸けを見せる見世物小屋的シーンもある。)母親とサーカスを観ていたのだが突然泣き出してしまう。道化師は笑わすどころか怖がらせたのだ。母親に叱られながら外に出る少年。この子がフェリーニなのだ。町の変わり者やキチガイが道化師の振る舞いとだぶってしまい怖くなったのだ。時代はうつりサーカスはグランド化し昔の風情はなくなってしまう。フェリーニは活動の場所を失い消えていった道化師の痕跡を捜しにサーカスそして道化師の発祥の地フランスへ渡る。ドキュメンタリー的な作りで話はすすむのだ。 フランスの名道化師ジムギヨンがアル中から体を壊し死の床に伏してるのだがおもしろいサーカス(道化師)が来ると夜な夜な通うのだ。そしてテントで笑いながら死んでいくとゆうエピソードが泣ける。ラスト30分の道化師たちの競演は凄すぎる。フェリーニの道化師への思いがラスト30分から終幕まで濃密に詰まっているのだ。そして暗闇に哀愁漂うトランペットの旋律とともに消えていく道化師。せつないなぁ。
 子供の頃に観た夢とも現実ともつかぬ不思議な思い出。センチメンタルな悪夢。こうゆうのがずーっと心に貼り付くんだよなぁ。

 フェリーニの道化師最高!!
そしてニーノ・ロータの音楽最高! 大おすすめ映画です。 


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2008年6月30日 (月)

テナント・恐怖を借りた男/ロマンポランスキーの巻

あらすじ/
パリの古びたアパートに部屋を見つけたポーランド移民のトレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)しかしその物件は前の住人が窓から飛び降り自殺をはかった曰く付き(瀕死の状態)。死んだら入居できるとゆう。その女性シモーヌを病院に見舞い、そこで彼女の友人ステラ(イザベル・アジャーニ)と知り合う。やがてシモーヌが死んでアパートに引っ越してしてくる。部屋にはシモーヌの痕跡。わずかな物音に苦情を言う住人。口うるさい家主(M・ダグラス)と愛想のない管理人(S・ウィンタース)。トレルコフスキーは精神が不安定になっていく。やがてタバコや飲み物といったトレルコフスキーの嗜好も変化し、彼は周囲の人々によって自分がシモーヌに変えられ殺されると妄想し始める。

小心者で回りにうまくとけ込み主張できないトレルコフスキーこれはポーランド移民でどこに住んでも異邦人であるとするロマン・ポランスキー自身なのだろうか。日常の些細なゆがみや思い違いズレが決定的にトレルコフスキーを追いつめる。この人間に対する恐怖感はシャロンテート事件を経た(http://ja.wikipedia.org/wiki/シャロン・テート)恐怖なのだろう。圧迫するような妄想がトレルコフスキーを少しずつ加速しながら壊していく。そんじょそこらのホラーの百倍は怖いのだ。大おすすめスリラー映画なのです。
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2008年5月28日 (水)

山松ゆうきち/山松Very Best of Early Yearsの巻

まったくもって救いようのない漫画のオンパレード。自力で這い上がり世間をみかえすこともなく当然あしながおじさんや白馬の王子様なんぞも現れない。ひたすら泥沼であえぎみっともない最後をとげる人々。マイノリティーのリアルを夢も希望もない世界と冷徹な視線で描かれる悲惨な登場人物たち。しかしそこにはここでしか生きられないと睨みをきかし悲しくも踏ん張る人がいる。が、常に負けなのだ。くそばばの詩シリーズ泣くなかあちゃんでは終戦後のドタバタの中餓死しそうになっていた黒人の少女(尚子と名づける)をかあちゃんが家につれて帰る。それでなくともひもじい生活。食うや食わずの毎日そして差別、いじめ。呑んだくれるとうちゃん。尚子はそんなとうちゃんになじめずとうちゃんとは呼ばずおじさんと呼んでいる。ある日黒人のジョージに尚子を養子にやる話をとうちゃんがつけてくる。別れの前日。村の運動会。一等の商品は以前から尚子が欲しがっていた自転車。必死に走るかあちゃん。そしてとうちゃん。尚子は必死に応援するがんばれかあちゃん、がんばれとうちゃんと。しかし一等はとれずかなしい別れとなるのだ。とゆうかかなりしょぼくれた別れなのだ。そのほか春を売る青春その年73(73才の売春婦の話)やがんばれストリッパー(これまた高齢のストリッパーの話)そしてなんとも胸をしめつけられる新聞屋のひばりちゃん(純粋さやけなげさがすべて貧乏にコーティングされそこからぬけだせないままみんなから忘れ去られていく少女の話)名作ぞろいなのだ。
 すべてにおいて暗い話なのだが絵柄の不器用な感じやらコマ割りの適当さ(クライマックスでコマが小さくなったりする)独特な台詞回しなどで悲惨なストーリーなのに笑ってしまうのである。いつしか暗い話なのに笑ってしまう自分の魂が山松迷宮の中でクニャクニャにされ気づくとまた読み返しているのだ。おすすめの漫画なのだ。


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2008年4月28日 (月)

ずべ公番長 夢は夜ひらくの巻

ずべ公番長シリーズの第一弾!不良番長シリーズに対抗して作られたと言われています。
エロとアクションそして歌謡映画の要素と盛りだくさんなのですがさして奇異には感じず(とゆうか奇異なのだがそれはそれでありなので)楽しめるおすすめ映画です。
あらすじは<世間は女ネリカンと呼び、すべ公たちが泣いて震える不良少女の矯正機関である赤城学園を仮退学したばかりの影山リカは、一度はまともな職についてみたものの周囲の風当が強く飛び出してしまう。あてもなく新宿をふらつくリカに、キャッチバーを紹介したのは綱夫と名のる男だった。偶然にもこのキャッチバー“紫"のママ梅子は赤城学園の出身で、長子、マリ、ミツ子ら学園出身のずべ公をホステスとして使っていた。また綱夫の女房長子は、リカと学園で共に助けあってきた仲間だった。一方、この辺一帯をナワ張とする大羽興業は、LSDやマリファナを密輸してヒッピーに売りつけ、金が払えなくなると売春をさせていたが、最近は、梅子の店に目をつけ、ことあるごとに目を光らせていた。ある日、マリの妹で、大羽興業から追われていた、麻薬中毒のヒッピー、バニーをリカがかくまったことから、ことが荒だち、日増しにいやがらせがエスカレートしてきた。リカを救うため、梅子は三百万円の借金をしたものの、高利貸しが大羽と結託していたことから梅子は窮地に追い込まれる。そんな梅子の姿を見たリカは、自から体を張って大羽興業にのり込んでいくが、逆にはずかしめられてほうり出されてしまう。その頃、マリはバニーを探し出すがバニーはすでに大羽の手によって殺されていた。梅子は、店の権利と引き換えにバニーの遺体を引き取る。バニーの通夜の日、一人日本刀を取り出し、大羽興業に向う梅子と肩を並べるのは出所して来た、恋人の慎二だった。そして、リカたちグループもその後を追った。>(goo映画よりかってに抜粋http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19372/story.html

日本的情念バリバリのエンターティーメント映画。なんたって出演者のパーソナリティのすばらしさの確たるや特に組長役の金子信夫のボーダーライン超えてるやりすぎ演技そして人間のボーダーライン超えてる妖怪左卜全の存在。これだけでも観る価値ありなのですがそのうえ男子にはうれしいパンチラのオンパレード。決闘シーンはそれでなくとも短いスカートなのにさらに短くなっとります。はなっからパンツ出てるってぇの。(左卜全の動画http://jp.youtube.com/watch?v=LZZk0tP49H8&feature=related)黒沢明監督が晩年「今時の人の顔は時代劇映画には向かない」と「昔の人の顔は奇岩怪石で個性的だった」と。確かに今の奴らは心も顔ものっぺらぼうですな、昔の映画を観ると思いますわ。タランティーノはこのへんの映画うまくパクってるけどやっぱり本物にはかなわないね。おすすめ映画です。

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2008年3月20日 (木)

ショーケン/萩原健一 の巻

3月14日わたしの数いるヒーローの中の一人ショーケンこと萩原健一様の自伝が出たのだ。ダメカッコいいなるジャンルの鼻祖。もっともそんなジャンルがあるとかないとかは別にしてとにかくカッコいいアウトロー俳優なのだ。傷だらけの天使、前略おふくろ様、そして柛代作品。どれもこれもカッコいい!傷天はニューシネマの影響なのだろうか今までの主人公(ヒーロー)像とは異なり情けない。それがショーケン自身の本質とも相まってとてもやるせなく切ないのだ。それは柛代監督作品しかりではちゃめちゃでろくでもない役柄でもやるせなく、そしてなんといっても反逆的なのがいいのだ。単なるダメ人間がショーケンを見習い自己肯定し、ダメでいいジャンなんて、とんだ馬鹿もんである。ショーケンは神に選ばれし天才なのだ。
 この本の前半は大麻コカインなどをライブや撮影前にやりまくるとゆう話やドラマやライブそして映画にと今までになかった新しいアイデアを出し八面六臂の活躍をするショーケンが語られている。(太陽にほえろの井上尭之バンドの起用やマカロニの殉職はショーケンのアイデアである。はやくやめたかったらしい)黒澤明監督の影武者を降板させられる勝新太郎のくだりはおもしろすぎ!そして逮捕とともにトーンダウンする。逮捕されたのが1981年。逮捕される直前の映画が柛代辰巳監督のもどり川、太宰治がモデルになってる話でいかにもショーケンにぴったりの作品だったのだが逮捕後公開されたためお客さんは不入りだったらしいです。わたしは柛代文芸作品の中ではナンバー1だと思う。80年代の到来とショーケン時代の終焉。アウトローが生きづらい時代がきたのだ。  ショーケンこと萩原健一はカッコいい!!!

http://jp.youtube.com/watch?v=KmqNcPnCcn0&eurl=http://mixi.jp/view_diary.pl?id=747426159&owner_id=739778


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2008年2月 5日 (火)

男はつらいよ 寅次郎恋歌 の巻

1971年12月29日封切りの男はつらいよシリーズ第8作。
わたしとしてはリリー出演の名作寅次郎忘れな草、寅次郎相合い傘、寅次郎ハイビスカスの花に並ぶほど好きな作品です。マドンナ役貴子には 池内淳子。おいちゃん役の森川信の遺作でもあります。森川信出演は全48作のうちのわずか8作なのですが森川信演ずるおいちゃんと寅さんのやり取りがパワフルですばらしくその後逝去されたのがほんと残念です。森川信のおいちゃんもっと見たかった。
 <ストーリーは>近所の八百屋で勉強をしない子供をたしなめるために勉強しないと寅さんみたいになると耳にするさくら。寅屋に帰り涙ぐみながらおいちゃんおばちゃんにその話をする。今度寅が帰ってきたらやさしくしてやろうと語り合う。そこへ寅が帰ってくる。みんなあまりに意識しすぎてギクシャク。それに寅、憤慨し傍若無人な態度を取る。あげくの果てに仲間を連れて酔っぱらってかえって来て、さくらに歌を歌わせる始末。そのさくらの悲しい表情に寅、自分の愚かさに愕然とし、また旅に出てしまう。 ある日、寅屋に岡山に住む博の母が危篤の電報。急いで行ったのだが間に合わず母は亡くなる。葬式の日、どこから聞きつけたのか寅が弔問に現れる。夜、博の父や兄たちは生前母は幸せだった、あれだけ欲の無い女はめずらしい、いい人生だったのじゃないかと語るのだが博はおかあさんにも夢があったんだ、父さんと結婚したからそれを押し殺して生きてきたんだ、幸せだったもんかと怒りを露にする。
翌日、東京にもどった二人なのだが一人になった博の父の事が気になり電話をしてみると電話に出たのはなんと寅…‥とここからいろいろと始まっていくのだ。
それまでの寅さんシリーズと異なり寅さんが恋をしてふられてとゆうパターンではない。寅さんの平凡に生きる事への憧憬。そして平凡に生きてる人たちの自由への憧憬とゆうことが主題として描かれている。寅さんが平凡に生きてこそ幸せなんだと気づくきっかけになったのは博の父の台詞である。「あれはもう10年も昔の事だがね。私は信州あずみのとゆうところに旅をしたんだ。バスに乗り遅れて田舎道を一人で歩いているうちに日が暮れちまってね。暗い夜道を心細く歩いているとぽつんと一軒の農家が建ってるんだ。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてね。開けっ放した縁側から明かりのついた茶の間で家族が食事をしているのが見える。まだ食事に来ない子供がいるんだろう、母親が大きな声でその子供の名前を呼ぶのが聞こえる。私はね今でもその情景をありありと思い出す事ができる。庭一面に咲いたりんどうの花、赤々と明かりのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち、私はそのときそれが、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、ふとそう思ったら急に涙が出てきちゃってね。人間は絶対一人じゃ生きて行けない、逆らっちゃいけない、人間は人間の運命に逆らっちゃ行けない、そこに早く気がつかないと不幸な一生をおくる事になる。分かるね寅次郎君、分かるね」この言葉にいたく共感した寅、柴又に帰り寅屋のみんなにいかに慎ましやかに生きる事が大切かとゆうことを説く。そこにマドンナ貴子登場。喫茶店を営んでいるのだが店を出すのに悪質なところからお金を借りてしまったのだろう金の催促の電話が入る。みかねた寅、必死に売をするのだがうまくいかない。夜、垣根越しに貴子の家の茶の間をのぞく、寅が理想としてきた茶の間とは違い働きづめで疲れている貴子が見える。りんどうの鉢植えを持って縁側へ入る寅「なんか困ってる事がございませんか、どうせたいしたことはできませんが指の一本や二本片腕片足ぐらいでしたらなんてことありません、どうぞ言ってください」貴子は寅の真っすぐなやさしさに感動するが問題は自分でなんとかするというそして寅のような旅から旅の生活に憧れているという「そうゆうもんですかね」と戸惑う寅。なにもしてやれない辛さから旅に出る寅、さくらに「にいちゃんのこんな暮らしがうらやましいか。そんなふうに思った事あるかい」「あるわ一度はおにいちゃんと交代しておにいちゃんを心配させてやりたいわ。寒い冬の夜こたつに入りながら今頃さくらはどうしてるのかなってそう心配させてやりたいわ」寅が持ってる(業)。どうしょうもなさがなんともせつない。
みんなここではない別の場所を夢見る。どこにいってもそこの場所になってしまうのに。とそんなふうに思ったりしたのです。

おすすめの一本なのだ。


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2008年1月 6日 (日)

非行少女ヨーコの巻

駅 STATIONなどの健さん映画で知られる降旗康男監督のデビュー作(昭和41年公開)
ヌーヴェルヴァーグの影響が各所にみられるがトコロテン式に監督に昇進して行くといった時代どうも突き上げで監督になり実話をもとに先輩が企画した作品をやらざる得なくなりその他悪条件を回避するための苦肉の策だったのではなかろうか。妙におしゃれでフランス映画っぽい。
 ストーリーは家出少女ヨーコが新宿のジャズ喫茶にたむろする若者たちとの友情・別れ・挫折を経験するといったものだがなんてったって出演者がすごい。主演に緑魔子、相手役が谷隼人(は、まぁいいか)新宿のフーテン仲間に石橋蓮司。大原麗子。田舎の中学の先輩に荒木一郎。変な性癖の金持ちの中年が岡田英次。喫茶店のマスターに大坂志郎。谷隼人の父親が佐野周二。画家の友人に寺山修司。その他、芳村真理や小林稔侍もクレジットされてるがどこに出てるか分からなかった。
 話は睡眠薬の中毒になったりと暗く破滅的なのだが石橋連司のおかまっぽいしゃべりや大原麗子のかわいらしさ(もーんのすごいかわいいのだ!)特に寺山修司のシーンを台無しにするほど浮きまくる個性の強さがじつはこの映画のみどころだったりする。
 ヨーコの生きる事の渇望感を埋め合われるものが見えずのたうち回る、体の中にあるどうしようもない衝動。このやるせない感じは後の降旗康男監督の健さんが出る一連の作品っぽくグッときたりしたのです。  ルイ・マルの<鬼火>に似てるなぁと思ったりも。
 オープニングは渡辺貞夫、日野晧正、原田政長、冨樫雅彦、八木正生の演奏するシルエット。シルエットだけよ。
 暗い話をおしゃれな画で見せるそんな映画です。


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2007年12月 8日 (土)

やわらかい手の巻

ロンドン郊外の小さな町で暮らす中年女マギー。彼女の孫(オリー)は難病を患っていてそのために家を売ったりしてなんとか病気をなおしてあげたいと思っている。嫁との関係はよそよそしくどこかうまくいってない。そして看病疲れは夫婦をピリピリさせている。そんなある時医者から後六週以内にオーストラリアで手術をしなければオリーは死ぬと告げられたのだ。夫婦には金を作る余力はない。マギーはなんとかしょうとするのだがどうすることもできない。絶望し、なんとなく歓楽街を歩いていたところ<接客係募集>の張り紙が目に入る。しかし接客係りとは(手こき)専門の風俗嬢だったのだ(壁に穴が開いていてそこにペニスを入れる。外と中は隔てられている。ミキはジャパニーズスタイルとよんでいた)ほかに残す道はなくオーナー(ミキ)に雇ってもらうマギー。なんとマギーはゴッドハンドの持ち主だったのだ。長蛇の列ができるほど売れっ子になったマギーことイリーナ・パーム(源氏名)。病状が悪化していくオリー。マギーの選ぶ道は…‥。

と、ストーリーをかいつまんで書くとなんだおばちゃん風俗嬢(手こき専門)の映画かなどと思ってしまうでしょう。たしかにウブなおばちゃんが手こきとはと下衆なわたしは思ってしまったのです。が。
観ていてどんどん引き込まれたのです。自分を押し殺し生きてきた平凡な主婦マギーが孫のために飛び込んだ未知の世界。醜悪な欲望と向き合ううちに今までつきあってきた世界の嘘が浮き上がってきたのかも知れない。どんどんとマギーが凛然としてくるのだ。そしてオーナーのミキ。「今夜からイリーナ・パームだ」と言ったところマギーが「若い人を想像するでしょうね。こんな年増なのに」「年増ってなんだ」「わたしみたいな冴えない中年女のことよ」するとミキ「そんな女は雇ってないぞ」だってニクい台詞だねぇ。ミキのいつもやるせない顔してんのもなんともいいんだよねぇ。 自分らしく生きることなんて容易いことじゃないだけど自分らしく生きなきゃ生きてる意味なんてない。マギーは自分の殻を破ったのだ。ユーモアとペーソス溢れるじわりじわりと感動する。そんな名作です。     12月8日(土)より、Bunkamuraル・シネマにてロードショー。連日:11:00/1:40/4:00/7:00
こりゃー観なきゃ損なのだ!
ちなみに主演のマリアンヌ・フェイスフルはローリングストーンズ、ミックジャガーの元恋人でありルパン三世の峰不二子のモデルともいわれている。


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2007年12月 3日 (月)

高木護詩集/人間の罪 の巻

放浪の詩人高木護氏の魂の声

<対話>
人間の話し相手は人間だろうと思っていた
ところが
話し相手を探してみて
そうではないのが判ってきた
年老いてくると判ってくるのだ
人間だからしゃべる人間語さえおたがいに通じ合わなくなってくるのだ
たとえば
恵まれた人とそうでない人とは
学問のある人とそうでない人とは
えらい人とそうでない人とは
それにまた政治と庶民とでは人間同士ではないかいくらおたがいに
人間らしくやろうと泣きついても通じ合わないどころか珍紛漢で
話にもならないのだ
そこで
そうでない者の一人として
わたしは年老いた日から
木に話しかけたり
石ころに話しかけたり
天に話しかけたりして
彼らとわたしとだけに通じる言葉を見つけるのだ
どんな言葉かって?
人間語でしゃべれるものか

<復讐>
片ことのことばを覚え
二、三お世話になっただけなのに
ことばよ、おまえは
わたしを脅迫する
収入について
日々の思想について
あるいは生き様について
おまえは
わたしを無能よばわりする
覚えたものでの弁解さえ
許してくれない
おまえは
わたしを役立たずと罵り
あげくは死ね、と
審判を下す

それから
わたしはおまえを
死ということばをけして覚えはしない
忘れたふりをする

<言葉だから>
巡り会った女たちに
意思表示する
言葉だから
さんざん使いふるしたものを
玩ぶ
女たちはその時から
よそよそしくなり
言葉ではなしに
わたしの「愛しているよ」をにらみつける
世界での革命も成功したためしがないのだから
ましてや
使いふるしたものなどで成功するはずもないだろう
わたしは諦めながら
女たちの代わりに
「愛しているよ」を
片っ端から押し倒す

けっして戯れではない、と

<なんでもないこと>
生きているということが
少しずつ判ってきた

わたしが生きているということは
親たちが人並みにつけてくれた名前のためではない
人並みにというのも
名前なんていうのも
どうでもいいことなのが

わたしが生きているということは
ここにわたしという一人がいて
一人で一人分の息をしたか
一人で一人分を食べたか
一人で一人分を寝たか
という
なんでもないといえばなんでもないことなのが

わたしが生きているということは
わたしがわたしという一人で一人分だけ頑張っているかどうかということが

<夕焼け>
ことしも花が咲く
美しいと見上げようが
うなだれようが
花は散る
散った花びらの上を
ぼくは歩いて行く
なまぬるい風があるので
耳たぶあたりに
ぼくは一つの国をぶら下げてみる
この国に生まれてしまってからの愛を
この国にうまれてしまってからの凶を
ぶらぶらさせる
いまさら
散ってしまった花びらの無数から
ぼくは悔いや哀しみを
捜り出そうとは思わないけれど
こうやって
ぼくは一年を生きながらえて
何ごともなく
ふたたび花の季節にめぐり逢うのを
ねがおうとしているのだろうか

<わたしは>  

子供のころから
骨なしさん
肚なしさん
胆なしさん
などといわれているうちに
熱病で死にかけて
骸骨さんみたいになったり
悪い酒で腹が出っ張ってきたり
モツ焼き屋さん通いをしたりで
これぞ行なりとは思わなかったけれど
いまはすっかり
わたしはりっぱな
骨なしさん
肚なしさん
胆なしさん
ついでにいわせてもらったら
能なしさん


031207_1408

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2007年11月 2日 (金)

マルクスブラザーズ/オペラは踊るの巻

<ストーリー>
クレイプール夫人のインチキ支配人ドリフトウッドは彼女に取り入られるために夫人を社交界に紹介する約束をする。その手始めにNYオペラ劇場の重役、ゴットリープと対面させる。ゴットリープは夫人を説いて劇場に20万ドルの出資をさせ、また世界一のテナーと言われるラスパリと契約を結んだ。一方劇場の下回り歌手リカルドは非常に良い素質を持っているが、機会に恵まれず未だ認められないでいた。この2人は共にソプラノのローザを愛している。ローザはリカルドに恋しており、彼の成功を祈っていた。ラスパリの衣装係トマソは、自分の主人を嫌いローザとリカルドと親しくしていた。リカルドと一緒に音楽を勉強しているフィオレロもまた彼を好いていた。ラスパリとローザはゴットリーブとの契約が叶いNY行きの船に乗る。リカルド、フィオレロ、トマソの3人は秘かにオーティスのトランクに潜りこみ、彼らと共に上船を果たしたのだが・・・。

とこんな感じなのだがストーリーなんざ関係ない。マルクスブラザーズの三人グルーチョ・チコ・ハーポの三人のはちゃめちゃな暴れっぷりなのだ。マルクスブラザーズとは1929年スクリーンデビュー主に30年代を中心に活躍した、アナーキーで不条理な笑いを武器にしたコメディグループ。家庭の貧しさから幼い頃よりヴォードヴィル劇団を結成して巡業していた。チャップリンやキートンはグルーチョとほぼ同年代なのだがサイレント全盛の時代に唄とマシンガントークを売りにしたマルクスブラザーズは映画とは縁がなかった。1927年初のトーキー映画「ジャズシンガー」が上映されトーキーの登場とともにマルクスブラザーズの快進撃が始まる。チャップリンは1940年(独裁者)までしゃべらずパントマイム芸を押し通す。キートンはトーキーの登場とともに冬の時代に突入する。
 マルクスブラザーズはとにかく攻撃的でチャップリンの弱者的立場で展開するヒューマンドラマと対局にあり映画としての主題やストーリーを徹底したバカバカしいギャグで破壊する。グルーチョマルクスは笑いは加害者の立場で発信しなければならないと言ったそうである。爆笑!そして痛快!マルクスブラザーズを観るべし!余談だがドリフターズのギャグのほとんどはマルクスブラザーズの影響……とゆうよりパクリです。

Hup659691

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