« マルクスブラザーズ/オペラは踊るの巻 | トップページ | やわらかい手の巻 »

2007年12月 3日 (月)

高木護詩集/人間の罪 の巻

放浪の詩人高木護氏の魂の声

<対話>
人間の話し相手は人間だろうと思っていた
ところが
話し相手を探してみて
そうではないのが判ってきた
年老いてくると判ってくるのだ
人間だからしゃべる人間語さえおたがいに通じ合わなくなってくるのだ
たとえば
恵まれた人とそうでない人とは
学問のある人とそうでない人とは
えらい人とそうでない人とは
それにまた政治と庶民とでは人間同士ではないかいくらおたがいに
人間らしくやろうと泣きついても通じ合わないどころか珍紛漢で
話にもならないのだ
そこで
そうでない者の一人として
わたしは年老いた日から
木に話しかけたり
石ころに話しかけたり
天に話しかけたりして
彼らとわたしとだけに通じる言葉を見つけるのだ
どんな言葉かって?
人間語でしゃべれるものか

<復讐>
片ことのことばを覚え
二、三お世話になっただけなのに
ことばよ、おまえは
わたしを脅迫する
収入について
日々の思想について
あるいは生き様について
おまえは
わたしを無能よばわりする
覚えたものでの弁解さえ
許してくれない
おまえは
わたしを役立たずと罵り
あげくは死ね、と
審判を下す

それから
わたしはおまえを
死ということばをけして覚えはしない
忘れたふりをする

<言葉だから>
巡り会った女たちに
意思表示する
言葉だから
さんざん使いふるしたものを
玩ぶ
女たちはその時から
よそよそしくなり
言葉ではなしに
わたしの「愛しているよ」をにらみつける
世界での革命も成功したためしがないのだから
ましてや
使いふるしたものなどで成功するはずもないだろう
わたしは諦めながら
女たちの代わりに
「愛しているよ」を
片っ端から押し倒す

けっして戯れではない、と

<なんでもないこと>
生きているということが
少しずつ判ってきた

わたしが生きているということは
親たちが人並みにつけてくれた名前のためではない
人並みにというのも
名前なんていうのも
どうでもいいことなのが

わたしが生きているということは
ここにわたしという一人がいて
一人で一人分の息をしたか
一人で一人分を食べたか
一人で一人分を寝たか
という
なんでもないといえばなんでもないことなのが

わたしが生きているということは
わたしがわたしという一人で一人分だけ頑張っているかどうかということが

<夕焼け>
ことしも花が咲く
美しいと見上げようが
うなだれようが
花は散る
散った花びらの上を
ぼくは歩いて行く
なまぬるい風があるので
耳たぶあたりに
ぼくは一つの国をぶら下げてみる
この国に生まれてしまってからの愛を
この国にうまれてしまってからの凶を
ぶらぶらさせる
いまさら
散ってしまった花びらの無数から
ぼくは悔いや哀しみを
捜り出そうとは思わないけれど
こうやって
ぼくは一年を生きながらえて
何ごともなく
ふたたび花の季節にめぐり逢うのを
ねがおうとしているのだろうか

<わたしは>  

子供のころから
骨なしさん
肚なしさん
胆なしさん
などといわれているうちに
熱病で死にかけて
骸骨さんみたいになったり
悪い酒で腹が出っ張ってきたり
モツ焼き屋さん通いをしたりで
これぞ行なりとは思わなかったけれど
いまはすっかり
わたしはりっぱな
骨なしさん
肚なしさん
胆なしさん
ついでにいわせてもらったら
能なしさん


031207_1408

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/228551/9231754

この記事へのトラックバック一覧です: 高木護詩集/人間の罪 の巻:

コメント

コメントを書く